2012/05/30

『禅とオートバイ修理技術』(上)(下)

『禅とオートバイ修理技術』(上)(下)ロバート・M・パーシグ


長いことかかり読了。
自分は西洋哲学よりも東洋思想なんだわと非常によく判った。

日本でいえば文系と理系の違いと持っていける問題を、ロマン的な人々と古典的な人々とし、そのすれ違う価値のあるある感でこの先もすいすい読めるかと思いきやそうではなかったこの本。

禅のおそらく臨済宗の姿勢や公案とかが出てくるあたりはするすると頭に入ってくる。そうなのかーとか、あれとそれがちゃんと頭で繋がる気持ちの良さ。

ところが西洋哲学のパートは「こりゃ、もし私が興味本位に哲学科なんかに入ってたらそらくるっちゃうわよね」ってのが目に見える。ソフィストというかソクラテスおまえは何と戦ってるのだ。プラトンこっちの話したい内容の前提を定義せな進まんのか。
当方、西洋哲学はまだ不勉強なので、その入門的な楽しさもある。

主人公が外側から「彼」と見ているパイドロス(この名前もあれなのね)、あの頃の彼。あの頃の私ではなく俯瞰的に見つめ直すこと。本文中では「シャトーカ」と言ってる。これをバイクのツーリング中に主人公は行っていく。バイクに乗っていた人なら、あるいは延々と歩く習慣のある人なら(もちろんイヤホンなんかしないでのことよ)、とてもよく理解できる精神行為だ。

パイドロス、彼が帰ってくるのがハッピーエンドなのか。
現在の主人公がパイドロスを解釈してもう別の箱に入れてしまうのがハッピーエンドなのか。


最後はよかったねと、何となく息子クリスにも父にも言いたくなる。
良いラストだったと思う。


「クオリティ」というテーマもまた別の本を読んでみたいな。
原文で読んでみるかなあ。辞書(in iPhone)片手に。

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