房光(ふさひかり)の話をしよう。
房光は身長10cm程の木彫りの力士だ。着彩されニスが塗られており光沢を帯びている。そしてラベルを剥がしてきれいに洗ったインスタントコーヒーの瓶に入れられている。
房光を見つけたのは四月の季節外れの帰省のときだった。夕食後、炬燵に入ったまま身体を倒した目線の先、干したタオル越しに棚の下段に並んでいた戦国武将(陶器)・モアイ像・そしてインスタントコーヒーの瓶に入った木彫りの像。何だこれは。何の並びだ。インスタントコーヒーの瓶の中身だけがいくら見てもわからない。薄暗さの中で合掌する異様に怖い地蔵にも見えた。
「開けていいよ。」
数日後、父が言った。
小さい力士像は父が小六の頃作ったもので、数ヶ月前に発見されたという。六十八歳の父が小学生の頃に作ったものが今年発見される実家の四次元空間ぶりに驚く。
房光とは、当時強かった房◯◯と◯◯光とい力士の二つを合わせて名付けた四股名だ。架空の力士なのに手形も出てきた。架空の縁起物である。手形の左下に毛筆で「房光(井沢) 1959」と書かれている。本名を旧姓みたいに書くなよ、と言おうとしたら1959の年号の右隣に新しい筆跡を見つけた。「小.6年 五月 自分の」青ペンでメモしてあるのだ。発見した時にメモ書いちゃう案外雑な扱い、自分のという告白、さらに父は続ける。
「おとうさんおすもうさんになりたかったんや。」
何それ初耳。
あらためて木彫りの房光と手形を見つめ、姉と私は大いに気に入ったので数枚写真を撮った。姉は房光のおへそのクオリティの高さに感動していた。
写真を見た父の感想はひとこと
「何でお前が撮った写真は全部かっこつけとるんや。」
逆光にならないよう45°角度をつけたのを、カメラを前に気取ってかっこつけてる姿と見たようだ。木彫りのカッコいい角度。なんだそれは。もうずっとなんだこれはと笑っていた春だった。
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